きのうに続き、禅的シンプル生活のすすめです
ちょっと「習慣」を変えるだけ。ちょっと「見方」を変えるだけ。それが禅的(シンプル)生活
世の中が思い通りにいかないのであれば、いっそ自分を変えてしまおう
他人の価値観に振り回されないように、余計な悩みを抱え込まないように、無駄なものをそぎ落とし、限りなくシンプルに生きる-それが禅スタイル
「今」を生きる
―一瞬の自分は「過去の自分」
「過去」より「今」に目を向ける
人は「今」「この瞬間」のみを生きている。だから、「この瞬間」を生きることのみに心を尽くす。それが禅の考え方です。
「三世に生きる」という言葉があります。三世とは過去・現在・未来のこと。仏教でよく耳にする阿弥陀・釈迦・弥勒というのは、この三世をそれぞれに象徴する仏様のことです。
これはどういう考え方かというと、たとえば一回呼吸をします。息を吸って、吐く。確かに吸っている瞬間は現在ですが、その息を吐いてしまえば、それはすでに過去になってしまっている。わかりやすく言えば、この本の前のページを読んでいたときは、もうすでに過去のあなた。そして次のページは未来のあなたということです。
嫌なことがあって落ち込んでいる自分も、目の前でパンッと手をたたいてみれば、その次の瞬間は、元気でやる気に満ちた自分に生まれ変わっている。映画のシーンがパッと切り替わるように、まったく違う自分になっている。
大切なのは今日という「この日」「この時間」「この瞬間」です。
☆「過去」ではなく、「今」を生きる、しかも「未来」のあなたのために
頭ではわかっていても、なかなか実行に移せないのも人間
罪を犯した女を救ったイエス・キリストも、過去の罪にこだわらず、それを責めようとする群衆から彼女を救い出した
罪の意識を持たせて(=共犯)、過去の自分につなげとめようとしても、それは彼の人生に生きるだけで、人の人生に生きる愚かさを説いたスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の演説につながる
すべてはリンクしていて、まさに過去の自分と今のあなたの“点と点を結ぶ”
変わることを恐れない
-過去への執着と手を切る
変化するから美しい
春の訪れとともに咲き誇る桜の花には、無条件に心が躍るものです。
固く閉じていたつぼみが突如として膨らみ、そしてみるみるうちに満開になる。しかもそれも束の間、一週間ほどもすれば散りはじめ、いつしか葉桜に変わっていく。短く清い散り方。一時もとどまることなく移り変わっていくその姿。その美しさゆえに心を奪われるのです。
桜の花の美しさとはかなさは、日本人の最も好むところです。はかないがゆえに美しいという無常観。その無常観が日本に定着するのは、禅というものが到来し、その思想が広がってからだと言われています。
人生も同じ、それは常に移ろい、変化を遂げていくものです。年齢的な変化もあるし、環境の変化もあるでしょう。それらの変化を恐れないことです。
柔軟な心で変化を受け入れ、過去に執着しないこと。変化を嘆くのではなく、そこに新たな美しさや希望を見いだすこと。そんな人生を送りたいものです。
☆たった一度限りの人生。日に新たに「流転」しながら、あなたの選択を待つ毎日
間違った選択をすれば、『負の連鎖』が起こり、正しい選択をすれば『正の選択』(⇔『性の選択』×⇒『負の連鎖』×)が続く
弱さを恥じることはなく、あの偉大な心理学のフロイトによると、人間のあらゆる行動は、たった二つの動機から発する-すなわち、
性の衝動と、
偉くなりたいという願望とがこれである
米国の思想家エマーソンは、「人間は、どんなことばを用いても、本心を偽ることはできない」と戒めている
人間は、何か問題があってそれに心を奪われているとき以外は、たいてい、自分のことばかり考えて暮らしている
そこで、しばらく自分のことを考えるのをやめ、他人の長所を考えてみれば、見えすいた安っぽいお世辞などに惑わされないで済む
子供が学校からよい成績をもらって帰ってきても、ほめてやることを怠らず、また、初めてケーキがうまく焼けたり、料理を手伝ってくれて、感謝や励ましのことばを掛けてやれば、子供達にとっては、何にも代えがたいそれは「勲章」となって、生涯心に残る財産となる
子供にとっては、親が示してくれる関心や、賞賛のことばほどうれしいものはない
自分の残り少ない人生を優先させるか、自分のように悔い改めて、子供達に寄り添うかはあなたの自由